保険学雑誌 第638号 2017年(平成29年)9月

一部誤表記のある保険約款の適用と解釈問題

―韓国における災害死亡保険金と自殺に関する事例を中心として―

李 芝妍

■アブストラクト

 韓国では生命保険会社の不注意により一般的に死亡保険約款で定められている自殺免責条項および自殺免責制限条項が災害死亡特約にも同様に記載された状態で約款が使用されていた。実際,被保険者が自殺によって死亡した際に支払われたのは一般の死亡保険金のみであったため,2007年に遺族が自殺による死亡に対する特約上の死亡保険金を求める訴訟を提起し,裁判所がその支払を命じたことを契機として,自殺は災害ではない旨の約款改正が行われるようになった。
 災害死亡特約の場合,被保険者の災害死亡が保険事故であるため,自殺は災害死亡ではないので,自殺に対する災害死亡保険金を支払うことはできない。それにもかかわらず,災害死亡特約で一定条件を満たした場合,その限りでないとして保険金を支払うとも理解できる文言を記載していたので,その対応をめぐり多数の判決と見解が分かれている。
 問題の約款条項は曖昧な表現をめぐる両当事者間の異なる解釈上の問題ではなく,作成者の意図と異なる条項が誤って表記されてしまった問題であるため,契約目的の不到達などを理由とする事情変更の原則を適用すべきであると思われる。

■キーワード

 災害死亡特約,自殺,約款解釈

■本 文

『保険学雑誌』第638号 2017年(平成29年)9月 , pp. 1 − 22

著しい重複加入による重大事由解除

―傷害疾病定額保険にかかるモラルリスク対応―

坂本 貴生

■アブストラクト

 生命保険会社の医療関係特約では,モラルリスク対応のために,約款上,重大事由解除条項が導入され,その事由の一つとして,著しい重複加入が規定された。
 保険法制定を契機に,傷害疾病定額保険において,損害保険会社・共済団体においても,重大事由解除の包括条項の具体化として,約款上,同事由が規定されている。
 包括条項は規範的要件とされ,同事由はその具体化であるため,解除の可否は,重複加入の事実を前提に,短期集中加入,入院の必要性が疑わしいなど他の不正利用を疑わせる事実により,契約存続を困難とする程度に信頼関係が破壊されたと評価されるか否かによって決せられる。集中加入期間中の加入の事案とそれ以外との比較では,後者は著しい重複加入以外の信頼関係破壊事由がより求められる。
 他保険契約の告知義務違反は,評価根拠事実の一つとなり,解除の可否は,契約存続を困難とする程度に信頼関係が破壊されたか否かによって決せられる。解除対象となる保険契約の範囲も同様である。

■キーワード

 重大事由解除,モラルリスク,著しい重複加入

■本 文

『保険学雑誌』第638号 2017年(平成29年)9月 , pp. 23 − 43

フランスにおける保険契約の法的構造

―日仏比較法研究の基盤―

松田 真治

■アブストラクト

 保険法学におけるフランス法研究は,各論的内容を中心に行われている。しかし,日仏比較法研究をするためには,より総論的内容の検討を行う必要があり,フランスにおける保険契約の法的構造を明らかにする試みがなされなければならない。
 フランスでは,近時,保険者の債務は何かという,かつて我が国でなされた議論がなされている。リュック・マイヨーは,近時,新たな見解を示したが,その最大の特徴は保険者の債務を「保障債務」と「支払債務」に区別することであり,それは保証の分野で「保証」と「支払」を区別したクリスチャン・ムリーの見解から大きな示唆を受けたものである。この保険法学におけるこの議論の背景には,フランス民法学における「保証」の研究成果のほか,我が国の民法学における「担保する給付」の研究成果がある。

■キーワード

 フランス法,保険契約,担保する給付

■本 文

『保険学雑誌』第638号 2017年(平成29年)9月 , pp. 45 − 66

企業からの個人情報漏洩と保険による損害填補

―損害の分類と保険の法的問題を中心に―

千手 崇史

■アブストラクト

 企業が保有する個人情報を漏洩させた場合の謝罪・賠償額は巨額にのぼるため,保険への加入を検討することも多い。しかし,填補すべき損害の性質や保険の法的な問題にはまだ未解明の部分が多い。そこで,本稿は,重要な事件や現行の保険商品を題材に検討を行った。その結果,まず,謝罪費用等「一次損害」は額や上限が定まりやすいので保険が関与しやすい反面,現行の主要保険商品ではまだ十分な額の給付がなされていない問題が判明した。一方,訴訟を経て支払う賠償金など「二次損害」は,保険事故をどう捉えるかの他に,全容がつかめず拡大する性質にどう対処するかが問題となる。検討の結果,被害者全員が請求をしないという前提に立つと,現行の主要保険商品で十分にカバーできるが,個人情報保護法改正による請求・訴訟や賠償額の増加可能性に注意が必要である点,相当因果関係がある損害はどこまでなのかを理論的に解明するのが課題である点を指摘した。

■キーワード

 個人情報漏洩,損害賠償請求,個人情報漏洩保険

■本 文

『保険学雑誌』第638号 2017年(平成29年)9月 , pp. 67 − 86

保険法立法時の想定と異なる実務の現状と今後の課題

―片面的強行規定に関する問題を中心に―

嶋寺 基

■アブストラクト

 保険法が施行されてから7年以上が経過しているが,片面的強行規定の効果が拡大解釈されていたり,各規定の趣旨が正しく約款に反映されていないものなどが散見される。契約法である保険法の各規定の趣旨と,保険業法等に基づいて監督上の観点から保険会社に求められる要請とを明確に区別し,保険法の趣旨に遡って実務の見直しを検討していくことが重要である。
 保険法は保険契約者等の保護のための規定を数多く設けているが,同時に,モラルリスクの排除や契約当事者間の衡平性の観点から規定を設けているものも存在する。保険法は保険契約者側の利益と保険者の利益とのバランスを意識しながら規定を設けているものであるため,単に保険契約者等にとって有利に運用すればよいと考えるのではなく,保険法が想定している各当事者の利益のバランスを正しく理解し,必要に応じて現状の実務を変更していくことが,将来の保険制度の健全な発展に資するものである。

■キーワード

 片面的強行規定,告知義務違反,重大事由による解除

■本 文

『保険学雑誌』第638号 2017年(平成29年)9月 , pp. 87 − 106

IFRS17「保険契約」適用後の保険会社のディスクロージャー

上野 雄史

■アブストラクト

 本稿では,2017年5月に公表されたIFRS17「保険契約」適用後の保険会社のディスクロージャーのあり方について論じる。IFRS17は保険負債に関する詳細な情報が提供される枠組みを提示し,投資家の意思決定に有用な情報を提供することが期待されている。一方で,IFRS17は,割引率の変動に関する損益計上などに選択肢が与えられ,かつ多くの測定要素において具体的な手法が示されていない。このため,IFRS17に基づく情報が投資家の意思決定に有用であるかどうかは未知数であろう。近年では,形式的な会計情報以外の重要性が高まっており,会計処理の複雑化や妥協的な基準設定は情報の有用性を喪失させることになる。一方で,保険会社(保険者)の法的責任に基づいて開示された情報は,利害関係者にファンダメンタル(基礎的な情報)を提供することに繋がり,保険契約者を含む利害関係者間の利害調整を円滑化することが期待される。

■キーワード

 IFRS17,保険負債,ディスクロージャー

■本 文

『保険学雑誌』第638号 2017年(平成29年)9月 , pp. 107 − 124