保険学雑誌 第651号 2020年(令和2年)12月

米国およびIFRSにおけるここ10年の生命保険会計の動向

栁田 宗彦

■アブストラクト

 国際会計財務報告基準のIFRS17号「保険契約」は,プリンシプル・ベース,資産・負債アプローチ,公正価値評価の特徴を持っており,2023年から適用される見込みとなっている。IFRS17号はEUの経済価値ベースによるソルベンシー規制であるソルベンシーIIの影響を強く受けている。
 一方,米国において法定会計はプリンシプル・ベースの保険負債を導入することとしており,ここでも経済価値ベースが取り入れられようとしている。 保険会社のGAAP会計においても,伝統的保険の保険負債は基礎率をロックインとしてきていたが,長期契約について基礎率を見直す経済価値の要素が取り入れられようとしている。
 わが国においてはソルベンシーにおいて経済価値のフィールドテストが続けられてきているが,会計処理にまで取り入れるかはこれからの検討となっている。リスク管理の観点から,わが国の保険負債の評価に経済価値ベースを取り入れることを検討すべきであろう。

■キーワード

 IFRS17号,時価評価,生命保険会計

■本 文

『保険学雑誌』第651号 2020年(令和2年)12月, pp. 1 − 24

自動運転と対物賠償責任保険

—ドイツ法との比較法的検討—

金岡 京子

■アブストラクト

 本稿は,保安基準を満たす自動運行装置を用いた自動運転中の事故において,対物賠償責任の前提となる運転者の過失について,①走行環境条件に反する使用をした場合,②不適切に自動運行装置に介入し,運転者自ら運転操作した場合,③自動運行装置からの運転操作引継ぎ要求に応じなかった場合,④運転操作引継ぎの必要性を認識しなかった場合に類型化し,ドイツ法との比較法的検討を行った。
 自動運行装置の製造者の説明書等による明確で理解しやすい説明があり,運転者が走行環境条件および自動運行装置の使用方法を習熟しており,十分な時間的余裕をもった運転操作引継ぎ警報があり,警報に従って運転者が運転操作をしない場合に車両が安全に停車し,保安基準を満たすドライバーモニタリングが行われている限り,運転者の過失による事故発生の可能性は低くなるものと思われる。
 しかし④の類型においては,ドイツと同様に,自動運行装置からの警報がなくても,明白な事情により,走行環境条件を満たさなくなったことを直ちに認識すべきであったが,スマートフォンの画面を注視していた等運転操作以外の活動に没頭していたため,その認識ができなかった場合も考えられる。上記明白な事情は,自動運転中に運転操作以外の活動が認められている状況下においては,自動運行装置からの警報がなくとも,一般の平均的運転者であれば当然認識できる程度の明白な事情であって,その認識の有無は,自動運行装置を使用しない通常の運転中に求められる運転者の注意義務より低いレベルの注意義務を基準とすべきであると考えられる。
 また,③および④においては,自動運行装置の警報が発せられたとき,または走行環境条件を満たさなくなったとき,運転者が直ちにそのことを認識し,確実に運転操作をしなかった場合に,ドイツと同様に,運転者が遅滞なく運転操作を引き継がなかったことに過失があったと考えられる。
 本稿の検討内容は,自動運転中の対物事故対応に応用できるものと考える。

■キーワード

 自動運転,対物賠償責任保険,運転者の過失,ドイツ道路交通法

■本 文

『保険学雑誌』第651号 2020年(令和2年)12月, pp. 25 − 50

近時のドイツの権利保護保険における費用軽減義務を巡る展開

—連邦通常裁判所2019年8月14日判決を題材として—

應本 昌樹

■アブストラクト

 権利保護保険では,保険給付の対象となる弁護士費用等について見解の相違が生じることがあり,損害防止義務の規律によってその解決を図ることが考えられる。ドイツでは,権利保護保険における損害防止・軽減義務を巡って,多くの裁判例が蓄積されてきたところ,近時,連邦通常裁判所が,透明性原則や代表者責任論などに依拠して,普通保険約款の費用軽減条項や帰責条項を無効とする判断を示すに至り,実務に大きな影響を与えている一方,請求権代位の枠組みで権利保護保険者により弁護士に対する多くの損害賠償請求訴訟が提起されている。こうしたドイツの展開から,わが国における問題解決の実務的アプローチとしては,損害防止義務によるのではなく,保険事故や給付範囲の明確化によることが適切であることが示唆される。

■キーワード

 権利保護保険,損害防止義務,請求権代位

■本 文

『保険学雑誌』第651号 2020年(令和2年)12月, pp. 51 − 80

ドイツの保険市場の動向

—兼営禁止の中での保険グループ運営—

竹内 正子

■アブストラクト

 ドイツ保険監督法は,生命保険と損害保険の兼営を禁止している。しかしドイツの保険会社は,損害保険と生命保険を統合させた経営や販売の体制を組んでいる。本稿では,ドイツの保険会社が現実に,どのような体制で運営されているのかを,大手保険グループの年次報告書などの公開情報を基に掘り下げ,日本の保険業界の参考になる部分はないかを検討していく。同時に,その前提となっている保険市場や規制,保険のルーツについて,監督当局やドイツ保険協会などの資料を基に確認する。

■キーワード

 兼営禁止,保険グループ,市場動向

■本 文

『保険学雑誌』第651号 2020年(令和2年)12月, pp. 81 − 110

フランス債務法改正と保険契約の射倖契約性

松田 真治

■アブストラクト

 保険契約は射倖契約か。この問いは,フランス民法典旧1964条が射倖契約のリストの中に保険契約を入れていたことから,そもそも問いですらないほどに自明ともいえた。しかし,中には保険契約の射倖契約性に疑問を呈する研究者がいたのも事実である。このような中で,2016年の債務法改正において,上記条文が削除され,射倖契約の定義規定である,旧1104条も修正されるに至った(新1108条)。この改正は,保険契約の射倖契約性に関する議論にどのようなインパクトを与えるか。
 改正前における射倖契約の定義規定問題(旧1104条と旧1964条の関係)は,定義規定が1108条2項に一元化されたため解消されたといえる。しかし,1108条においては,保険契約が実定契約と射倖契約のどちらにも属するという解釈が可能となり,保険契約の射倖契約性の問題は,終結したとは言い難い。また,保険契約の性質決定問題について,旧1964条を参照していた破毀院判決が今後どのような理由付けでこの問題を扱うのかは注目されよう。

■キーワード

 フランス債務法改正,保険契約,射倖契約性

■本 文

『保険学雑誌』第651号 2020年(令和2年)12月, pp. 111 − 137

オーストラリアにおける保険業界自主規制の発展史

—消費者行政法の視点から—

泉 裕章

■アブストラクト

 日本の生損保険業界は,近年,家計保険に係る多数の自主ガイドライン(保険業界自主規制)を整備しており,家計保険事業を巡る今後の消費者行政は,こうした業界自主規制なくして語れない。そうすると,この分野における消費者行政の健全かつ体系的な発展のためには,業界自主規制につき,理論的・歴史的・比較法的な側面から考察する機会を持っておくことが,学問的・実務的に有益であると考えられる。本稿は,こうした問題意識に応えるべく,比較的早くから自主規制を用いた行政手法が活用されてきたオーストラリアにおいて,消費者行政分野の先駆け的存在とされるビクトリア州に着目した考察を加える。具体的には,同州の消費者問題アニュアルレポートを素材として,保険業界自主規制の発展の経緯を辿ったうえ,その位置付け等について理論的・歴史的・比較法的な側面から考察し,日本への示唆を得る。
 その結果,本稿は次のような見解を示した。すなわち,規制のターゲットの3分類(極悪層,中間層,従順層)のうち,日本の生損保険業界は従順層,オーストラリアの保険業界は中間層に位置付けられ,このことが,それぞれの業界自主規制の実効性評価に差を生じさせている。しかるに,両者の位置付けの差については,①オーストラリアの業界は,保険に限らず,一般に中間層に位置付けられている,②日本の生損保険業界は,保険金支払問題を契機として従順層に変わった,という複合的な理由によるものと考えられる。

■キーワード

 ガイドライン,共同規制,保険金支払問題

■本 文

『保険学雑誌』第651号 2020年(令和2年)12月, pp. 139 − 170

中国における規制緩和と生命保険業に関する一考察

金 瑢

■アブストラクト

 本稿の目的は,1990年代以降中国における規制緩和により生命保険業がどのように変化したのかを考察することである。そこでまず,改革開放政策が打ち出された後,段階的に進められた規制緩和について考察し,次に規制緩和が生命保険市場に与えた影響を,集中率とハーフィンダール・ハーシュマン指数を用いて分析し,生命保険市場が競争的になりつつあることを明らかにした。さらに,規制緩和による生命保険会社のマーケティング活動の変化を次の2つの視点から考察した。①1990年代初めまでは生命保険会社の社員による直販一辺倒であったが,個人代理人,銀行窓販,直販など販売チャネルの多様化が進んだ。②生命保険会社では従来無配当の養老保険や年金保険中心の商品構成が多かったが,2000年以降は有配当保険,無配当保険,ユニバーサル保険,ユニットリンク保険,医療保険など商品の多様化が進み,また生命保険会社間に商品戦略の違いが生じた。

■キーワード

 市場競争,販売チャネルの多様化,商品戦略

■本 文

『保険学雑誌』第651号 2020年(令和2年)12月, pp. 171 − 191

中国における「ネット互助プラン」の出現と社会保障,民間保険との連携

片山 ゆき

■アブストラクト

 世界で急速にデジタル化が進む中,インシュアテック(Insurtech)を代表するものとしてP2P保険(peer to peer insurance)が注目を集めている。保険新興国である中国は,国民に広く保険商品が普及する前にデジタル化が進展し,プラットフォーマーによる医療保障を中心とした「ネット互助プラン」が急速に普及し始めている。ネット互助プランは欧米で主流の仲間同士または小規模のリスクシェアとしての範疇を超え,所得が相対的に低い層を包摂しながら,社会保障体系における基層部分のリスクをカバーする存在としても機能し始めている。また,ネット互助プランの加入は,金融リテラシー向上のきっかけとなり,更に保障の手厚い民間保険への販売へと繋がっている。中国では,社会保障,既存の民間保険との共存を目指した成長が模索されている。

■キーワード

 インシュアテック,相互宝,P2P保険

■本 文

『保険学雑誌』第651号 2020年(令和2年)12月, pp. 193 − 215

韓国における保険詐欺防止対策に関する一考察

—保険詐欺防止特別法を中心として—

李 芝妍

■アブストラクト

 多様なリスクが潜んでいる現代社会において,保険制度は社会または個人のリスクを分散し,経済生活の安定を図る優れたリスク対策として機能している。しかし,保険の射幸的性質から生じうる保険犯罪,道徳的危険,逆選択の問題のような保険の逆機能は現代において深刻な社会問題の一つになっている。
 特に保険制度を悪用して保険事故の偽装・隠蔽などを行い,保険者を欺罔して保険金を騙し取る保険詐欺が急増していて,その手法は多様化・知能化・組織化・凶悪化する傾向があるため,世界各国は保険詐欺の予防および根絶,摘発のため様々な対策を講じている状況である。
 本稿は韓国を対象として保険詐欺の防止策として制定された保険詐欺防止特別法について検討し,その施行後に問題として指摘されている論点を中心に改善方向を考察している。
 実際,保険詐欺防止特別法が制定されても増えつつある保険詐欺は,威圧的な厳罰に依存せず,保険詐欺を予防できるシステムの構築や保険制度の構造的改善,実効性を高めるための改正作業などに努めるべきであろう。

■キーワード

 保険詐欺,欺罔行為,保険金の不正請求

■本 文

『保険学雑誌』第651号 2020年(令和2年)12月, pp. 217 − 235

韓国法における保険者の説明義務に関する規律の動向

—約款説明義務をめぐる議論状況,金融関連新法の成立—

鄭 燦玉

■アブストラクト

 保険商品に関する保険者・保険契約者間のいわゆる情報の非対称・不均衡状態の解消のために,韓国法においても,保険者の説明義務に関する規律の整備が進められてきた。保険者の説明義務を私法的に規律する法規定として,商法638条の3と約款の規制に関する法律3条を挙げることができる。両規定ともに約款の「重要な内容」を説明義務の対象として定めているが,その義務違反の効果については異なる規律を設けていることから,それらの関係をめぐり学説上争いが生じている。また,保険業法95条の2は,監督法の見地から,保険商品の販売勧誘時に,法令で重要事項として定められた内容を一般保険契約者に説明しなければならないものとしている。このような状況は,特に日本法における情報提供義務のエンフォースメントを考えるにあたり参考になると思われる。
 一方,2020年3月24日に,金融取引における消費者保護に関する法律が成立し,規定の大部分が1年の猶予期間を置いて施行されることになった。保険商品も同法で定義する金融商品に該当するので,保険取引については,来年から同法上の販売行為規制が適用される。同法の施行が保険の領域にどのような影響を及ぼすのかについては,引き続き注視していく必要がある。

■キーワード

 保険者の説明義務,保険約款規制,金融消費者保護法

■本 文

『保険学雑誌』第651号 2020年(令和2年)12月, pp. 237 − 264

キャプティブ市場の現状と将来

—自家保険としてのリスクファイナンス—

前田 祐治

■アブストラクト

 1960年代に始まったキャプティブ設立の動きは増加の一途をたどり,今では世界で7,000社ものキャプティブが存在する。欧米を中心に発展したキャプティブは,当初は企業が自家保険で引受けた保有リスクの効率的な運用が目的であったが,現在では従来の保険会社が提供できないようなテロリズムリスク,サイバーリスク,パンデミックリスク,従業員の生命,所得補償,医療に関するリスク,そして第三者リスクのカバーを提供するまで利用が拡大している。この流れは,欧米企業にとどまることなく,ラテンアメリカやアジアパシフィックの諸国にまで広がっている。ERMの発展とともに,キャプティブの戦略的な活用が今後も増えていくと考えられる。

■キーワード

 キャプティブ,自家保険,リスクファイナンス

■本 文

『保険学雑誌』第651号 2020年(令和2年)12月, pp. 265 − 282