保険学雑誌 第642号 2018年(平成30年)9月

生命保険契約・自殺免責にかかる法制と解釈

—ドイツ法制,フランス法制からの示唆—

土岐 孝宏

■アブストラクト

 わが国の法制と親和性の高い大陸法系主要国家にあっては,今日,自殺を例外なく免責にする法制(保険法51条1号参照)は放棄され,反対に一定範囲の自殺に保険保護を与えることを強行法として求め,生命保険における遺族補償機能を政策的に高めている。自殺免責を完全に私的自治(自由)に委ねるわが国の法政策については,遺族補償機能という観点のほか,保険料計算(生命表)のなかに自殺保障のための対価は支払われている事実に即しても,再考が必要である。また,ドイツ・フランスの議論では,精神障害中の自殺も,自殺(死の結果に対する認識はある行為)であるが,しかし死の選択に対する自身の利害得失の比較検討が,冷静・客観的に,あるいは,理性的な熟慮を伴って行われなかった上での自殺と整理され,そのように自由な意思決定を欠くことと,故意の欠如とは同義に解されていない。このような解釈はわが国の法解釈・法制にも採用されるべきである。

■キーワード

 自殺免責,精神障害中の自殺,自由な意思決定

■本 文

『保険学雑誌』第642号 2018年(平成30年)9月, pp. 1 − 30

エマージング・リスクの早期発見と対応

—公共政策の観点から—

岸本 充生

■アブストラクト

 リスクが顕在化する前に,エマージングな段階でリスクを早期に発見し,対処できていれば,より安全な社会を実現できるだろう。しかし,行政は何かが起こらないと対応するのは難しいし,専門家でさえも直前に起きたことに影響を過度に受けるという心理的バイアスを持っている。エマージング・リスクは発生形態から,リスクの発生源が新規なもの,社会が変化することでリスク化するもの,人々の考え方が変化することでリスク化するもの,の3つに分類できる。こうした多様なエマージング・リスクを早期に発見するためのアプローチには,フォーサイトという手堅い方法に加えて,理論的には予測市場を活用する方法も考えられる。フォーサイト活動を実装している組織として,欧州の労働安全衛生庁と食品安全機関が挙げられる。エマージング・リスクが早期発見・早期対応が可能になった場合には,その効果を可視化するにはどうすればよいか検討する必要がある。

■キーワード

 エマージング・リスク,早期発見,公共政策

■本 文

『保険学雑誌』第642号 2018年(平成30年)9月, pp. 37 − 59

損害保険におけるエマージング・リスクへの取組みの一例

—サイバーリスクについて—

石原 康史

■アブストラクト

 デジタルイノベーションの進展で,社会環境,産業構造は大きな変化を遂げようとしている。モバイル,クラウド,ビッグデータ,AIといったITの新潮流を受け,あらゆるものにセンサー/チップが搭載され,多様な分野であらゆるモノがネットワークで繋がるIoT(Internet of Things)が大きな広がりを見せている。一方で,ネットワークで繋がるということは,同時にサイバーリスクが増大することを意味している。
 加えて,サイバーリスクは地政学リスクの高まりによっても増加するが,近年,中東,アジア等,地政学リスクは高まっている。
 現状,日本国内におけるサイバーセキュリティに対する認識は,米国等と比較して,必ずしも高くないが,個人情報の保護規制が国際的に広がっていることから,国内でも個人データ保護に対する意識は今後高まっていくと考えられる。
 こうした状況の中,今後増大していくサイバーリスクをどのように取り扱っていくかは,損害保険会社として,重要な課題となる。

■キーワード

 エマージング・リスク,サイバーリスク保険,情報セキュリティ

■本 文

『保険学雑誌』第642号 2018年(平成30年)9月, pp. 61 − 77

医療技術進歩とエマージング・リスク

—がんの粒子線治療を例として—

重原 正明

■アブストラクト

 人に関するエマージング・リスクの中から医療技術の進歩によるものとして,がんの粒子線治療を例として,リスクの実態と民間保険会社の商品化の現状について記す。がんの粒子線治療は効用が認められる治療法だが,治療費用が高額となる。現在は一部のがんを除いて,粒子線治療の部分は保険適用が認められない先進医療の扱いを受けている。保険会社は先進医療特約などでこの治療費用に対する準備手段を提供しており,引受に際し発生率に関するリスクの緩和のため商品設計上の考慮をしている。粒子線治療の例をもとに考えると,人に関するエマージング・リスクを民間保険で取扱う場合,データの収集,リスクの価値評価の不能性,患者(契約者)への情報の偏在などが課題である。データの収集には社会的サポートが有効であろう。リスクが確実に測定できなくてもある程度対応できる民間保険は,社会課題の解決の手段としても有効となり得る場合が多いと言えよう。

■キーワード

 エマージング・リスク,先進医療,民間医療保険

■本 文

『保険学雑誌』第642号 2018年(平成30年)9月, pp. 79 − 102

エマージング・リスクへの対応プロセスについて

—リスク研究の観点から—

平井 祐介

■アブストラクト

 従来のリスク研究の知見を活用し,エマージング・リスクを認知することから,リスク評価を経て,リスクへ対応するまでのプロセスを模式化し,リスク評価をエマージング・リスクの発生結果と発生確率の2軸4象限に分けた。これに,AõStirllingによる無知(ignorance),多義性(ambiguity),不確実性(uncertainty),リスク(狭義のrisk)の4つに類型された概念を当てはめた。さらに,無知からリスク評価に至るまでの過程において,従来のリスク研究が得意としてきた「データ収集」,「科学的合意形成」,「リスク評価の定式化」について説明した。そして,リスク研究の今後の展開を踏まえた上で,保険業界によるエマージング・リスクへの対応において,日本リスク研究学会側との連携の可能性を探り,保険商品に応じた,より簡易で素早く結果の出るリスク評価(Rapid Risk Assessment)手法の開発等を提案した。

■キーワード

 エマージング・リスク,リスク評価,リスク研究

■本 文

『保険学雑誌』第642号 2018年(平成30年)9月, pp. 103 − 110

近時のエマージング・リスクに保険会社はどう向き合うべきか

吉澤 卓哉

■アブストラクト

 保険業界は以前よりエマージング・リスクの保険商品化に努めてはきているものの,社会のニーズからすると,必ずしも十分に応えているとは言えない。また,こと新技術に関するエマージング・リスクについては,適時の適切な保険商品の投入が新技術の応用や普及を促す側面がある。
 このように,保険会社にはエマージング・リスクをカバーする保険商品の開発が求められているが,その際には特にリスク評価が障害となる。けれども,リスク評価が困難なリスクの引受を可能とする保険引受手法を保険業界は有している(事後的保険料調整やファイナイト保険)。保険会社としては, こうした保険引受手法をさらに洗練させ,エマージング・リスクを積極的に引き受けていくことが期待されている。また,国家には,このような保険引受手法の制度的保障(保険としての認定基準の明示)が求められている。
 なお,保険会社としては,エマージング・リスクを新たにカバーする保険商品の開発が期待されている一方で,既存保険商品でカバーしてしまっているエマージング・リスクが存在することにも十分留意すべきであろう。
 

■キーワード

 エマージング・リスク,ニュー・リスク,ファイナイト保険

■本 文

『保険学雑誌』第642号 2018年(平成30年)9月, pp. 111 − 136

韓国保険学会の持続的成長戦略

成周昊,金憲秀(李芝妍・訳)

■アブストラクト

 韓国の深刻な高齢化問題は韓国保険学会の持続可能性の脅威となっている状況である。本論文では,韓国保険学会における高齢化問題を考察し,これを解消するための基本戦略および主要政策を紹介する。韓国保険学会は,①未来における保険学者の養成②研究の質的水準の向上③国際交流の拡大④保険関連学会の連携強化および産学との連携拡充などを学会の存続および発展戦略として採択し,あらゆる支援事業を実施している。また,諸外国との連携を通じて,保険関連学会との学術交流を活性化し,country riskを分散させることを中長期戦略として設定する必要がある。これは韓国保険学会と日本保険学会が共に直面している高齢化問題の効果的な対処策になると思われる。

■キーワード

 韓国保険学会,高齢化,持続的成長戦略

■本 文

『保険学雑誌』第642号 2018年(平成30年)9月, pp. 137 − 150

がん保険約款の実務上の諸問題

佐々木 光信

■アブストラクト

 生保協会裁定審査会取扱い事例概要におけるがん保険関連の給付事例を参照し,約款の運用を巡る問題を確認した。責任開始前がん診断確定無効規定と90日不担保規定に関する申立ては少なく,悪性新生物の該当可否と「がんの治療を直接の目的とする入院」という給付約款の解釈に関するものが多かった。前者は,腫瘍分類基準適用の問題であったが,裁定審査会は踏み込んだ見解を示していない。一方,後者の約款解釈を巡る申立ては,がん治療に関連する合併症の申立て事案が主であった。これに対し裁定審査会は,給付妥当と判断する場合の一定の解釈を示している。いずれの判断も,医学的専門性に依存し,事案における約款解釈が契約時の合意に含まれるとは思われない。それ故に,契約時の情報提供と適切な約款の作成が,より重要である。今回,がん保険について報告したが,他の特定疾病保障商品にも共通する問題として認識された。

■キーワード

 がん保険,約款,裁定審査会

■本 文

『保険学雑誌』第642号 2018年(平成30年)9月, pp. 151 − 171

大航海時代におけるポルトガル「インド航路」の海上保険と日本の投銀の接点

若土 正史

■アブストラクト

 本稿はヨーロッパの商人たちが活躍した大航海時代の遠隔地交易において,海上危険の「リスク対策」の一手段となった海上保険の取引実態を,ポルトガルとスペイン両国の一次史料を使い,インド航路ではそれがどのように活用されていたのか,また同航路の延長線上にあった我が国との交易の中で活用されていた「投銀(抛銀)」との接点について,一人の冒険商人の貿易活動の軌跡を追い検証を試みたものである。同航路で活躍したこの改宗ユダヤ人商人の一族は,強い親族関係の絆で結ばれたグローバルなネットワークを活用し,東アジアだけでなくブラジルなど中南米で得られた産品を,メキシコから太平洋航路を経てマニラの市場に齎す広範な国際貿易を行っていたことが判明した。更にインド航路と日本航路では,海上保険と投銀を彼らのニーズに合わせ夫々をうまく使い分けていた実態も明らかにした。

■キーワード

 改宗ユダヤ人商人,異端審問所,投銀(抛銀)

■本 文

『保険学雑誌』第642号 2018年(平成30年)9月, pp. 173 − 201

保険会社における市場規律の測定の準備

徳常 泰之

■アブストラクト

 1990年代後半,金融機関を取り巻く経営環境が大きく変化した。保険会社の財務的健全性を維持することが,保険会社や監督者にとって至上命題となっており,市場規律の有効活用が求められている。海外の先行研究では保険会社に市場規律が認められることが実証されている。日本の保険会社に市場規律が認められるかどうかを確認することが大きな目的である。
 信頼できる財務情報を開示することが効果的な市場規律の活用に不可欠で,情報開示によって企業の透明性を向上させることが可能になり,当該企業だけでなく市場規律の関係者全体の利益につながる。
 本稿では保険会社における市場規律の概要,関係者,前提条件と問題点について考察し,銀行との比較,日本の保険会社における市場規律を測定するため分析対象となる変数(ソルベンシー・マージン比率,格付情報,株価,保険料,解約率など)の特徴について考察した。

■キーワード

 市場規律,ディスクロージャー,年次報告書

■本 文

『保険学雑誌』第642号 2018年(平成30年)9月, pp. 203 − 222

車両保険における外形的事実の主張立証責任

吉野 慶

■アブストラクト

 自動車保険契約の車両条項における「偶然な事故」の意義及びその主張立証責任の所在について,最高裁は平成18年から平成19年にかけて相次いで5件の判決を出している。このうち,平成19年の3件の判決はいずれも車両盗難に関するものであるところ,同各判決は,車両盗難事案についてもなお保険金請求者は(財物の占有移転が)「被保険者の意思に基づかない」ことまでの主張立証は要しないとしつつ,但し,盗難の「外形的事実」についてだけは主張立証を要し,かつ,その内容として具体的に①『被保険者の占有に係る被保険自動車が保険金請求者の主張する所在場所に置かれていたこと』及び②『被保険者以外の者がその場所から被保険自動車を持ち去ったこと』という事実を明示した。
 しかし,車両盗難事案以外のいわゆる引っ掻き傷事案,車両火災事案,水没事案及び衝突事案等について保険金請求者が請求原因としてどのような事実の主張・立証を要するかについてはなお明確にはなっておらず,各地の高裁裁判例においてもその判断は分かれている。
 そこで,本稿では主として盗難事案以外の事故にかかる車両保険金請求事件について,保険金請求者が請求原因として主張立証責任を負担すべき事実の内容及び範囲について検討を加えた。

■キーワード

 車両保険,偶然な事故,外形的事実

■本 文

『保険学雑誌』第642号 2018年(平成30年)9月, pp. 223 − 251

欧州ソルベンシーIIにおける内部モデル要件および承認審査を巡る論議からの示唆

村田 毅

■アブストラクト

 IAISが国際資本規制の導入を進めているのと並行して,本邦金融庁も経済価値ベースの資本規制の検討を進めている。
 新たなソルベンシー規制を巡っては様々な論点があるが,重要な論点の一つとして,必要資本の計算における「内部モデル」(internal model)の利用の可否とその条件がある。
 経済価値ベースの資本規制の導入で先行している欧州ソルベンシーIIにおいては,各国監督当局の承認を条件として,内部モデルを利用できる制度となっている。
 欧州で大手保険グループの多くが内部モデルの承認を得てその利用を始めた一方,申請準備の過程で,申請業務の負荷の重さや,モデルにおいて選択した手法が許容されないことを理由に申請を断念した会社も多く,制度実施後,業務負荷や手法等への介入が過度であるという意見も表明されている。申請者と監督者との間で,重要性あるいは比例性の原則(materialityó the principle of proportionality)にかかる理解が早期に共有されなかったことが欧州ソルベンシーIIにおける内部モデル要件および承認審査を巡る論議からの示唆要因のひとつであったように見受けられる。
 翻って,本邦における今後の検討を考えた場合,厳密に審査すべき重要な部分の特定や,重要性に見合う厳密さの程度等の判断基準について,価値観と理解を共有することが効率的な内部モデルの開発と審査にとって有効であり,早い段階から具体的なリスクプロファイルを前提として,このような共有を図ることが望まれる。

■キーワード

 ソルベンシーII,内部モデル承認,重要性・比例性の原則

■本 文

『保険学雑誌』第642号 2018年(平成30年)9月, pp. 253 − 274